読書のススメ
「きみの言い訳は最高の芸術」

 

 人にはそれぞれ、些細なことから大きなものまで様々な課題が存在します。

その課題を克服したり、目標を達成したりしながら、より良い幸せな人生を

求めて生きています。

そんな皆様へお勧めしたい本をご紹介していきます。

 

「きみの言い訳は最高の芸術」 著者:最果タヒ 氏

優しくなりたいと思うより先に、丁寧になりたいと思うし、だからこそ、花とか草とか育てようとするんだろうな。草花に水をやる時の、あの慈愛でもなんでもない、でも、習慣だけではない、どこかにあるであろう特別な感情。それはなんだか人間の本質っぽくて、愛だとかいう言葉が入ってこられないかんじがとてもいいな、と思う。育てる、というのはどうしても手間がかかっていて、ちょっとだけ、報われないところがあって、それでいて植物はあまりにも自分と異なっているから、簡単には自分がやっていることがいいことだとは思えない。共感ができないから。それでもちゃんと毎日水をやる、というのはどういう感覚なんだろう。ガーデニングが趣味な人は毎朝ちゃんと起きて、そして水を汲んで彼らに与える。その行為はいったい、どこにつながっているのだろう。

太陽だとか月のあの規則正しい感じは、ときどき「もう!」と、私をあせらせる。なんであんなに月は規則正しく欠けるのか。なんてね、月も聞かれたって困るだろうけどそんなことで、頭の奥がちょっとだけピリピリする。太陽も毎朝ちゃんとのぼってくるしさ、月に1回くらい、月食とか日食とか、起きてくれないと、なんだか自分が不適合生物な気がして悲しい、なんてことを、時間通りにやってきて時間通りに出発する電車に乗る時考えていた。自分以外はすべて規則正しいほうが、絶対に便利であるはずなのに、それじゃあ我慢できないところがある。

 

人間は思った通りの返答をしないから、小さなころはそれが無性に怖かった。こう答えるだろうと想像して投げた言葉に、まったく想像もしない返答がかえってきたりして、それが会話の面白さであり、会話をする意味だ、なんていうふうに思えたのは高校生とか、大人になってからだ。

人間は予想外のものだ、というのが本当に嫌だったし、なんでそんな予想できないものが私の周りに満ちていて、それらと関わらないと生きていけないシステムになっているのか、全然理解できなかった。だって、怖いやん?

そのころ、太陽も月も、規則正しくて、それに疑問を抱いたこともなかった。私にとっては不条理こそ敵で、その象徴が、生物のあの勝手さだったんだろう。それを受け入れるには、それを面白い、と思うには、自分が自分の不条理さに慣れていくしかない。完全に間違いなく行動するのが人間として正しい、なんてことはないのだと、しつけや教育からはみ出したところで知るしかない。ルールは不条理な集団だからこそあるのだと知るまでは、ルールそのものとして、その不条理に怯えるしかないんだろう。

 

ガーデニングが好きとかいう人が、ある程度大人に見えるのはもしかしたらこういうことが理由なのかな、とも思う。どんなに水をやったって、肥料をやったって、枯れる時は枯れるし、その理由を語ってはくれないし、それでも一方で、妙によく育つことだってあるだろう。花屋さんの言った通りにしたのにな、と思いながら、枯れてしまった鉢植えを見るとき申し訳ないとは思いつつも、それで「育てて損した」とは思わないのは、たぶん、その結果のあいまいさを最初から承知しているからだ。死んでしまう可能性はいつだってすべての生物に存在していて、たぶんその不条理が、命の定義を形作っている。

 

 

いろんなものの命が、私たちのそばにあるのだけれど、それを分かっているようでいて、ちゃんと理解した行動はできていない。私はいつも世話をし過ぎて植物をダメにしてしまうし、毎日の忙しさを理由に枯らしてしまう。「言ってよ~!」って言いながら、植物が「のど乾いたヨ~」なんて言わないことも知っている。 だから「気づけよ~私!!」と自分がイヤになる、そんな繰り返し。

「誰とでも仲良く楽しく」・・・それがいいに決まっている。でも、ほんとにそうかな??

だって、人だもの。好き・嫌い、合う・合わないがあるよね。

自分に無理させない、本当の「楽しい自分の人生」をどうとらえていくかが一番大切。

楽しいほうが幸せだよね。幸せになるために生きているんだから。

新鮮でキレイでドキドキする言葉が、「こんな自分」でもいいんだと思わせてくれる。